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ドイツ民主共和国国家評議会()は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)において1960年から1990年まで集団で国家元首の機能を担った機関。 == 概要 == 1949年に建国された東ドイツでは、当初大統領制が導入されヴィルヘルム・ピークが初代大統領となった。1960年にピークが在任のまま死去すると、後継の大統領は選出されず東ドイツ憲法の規定が改正されて人民議会から選出される国家評議会が集団で国家元首の機能を果たすこととされ、実質的には国家評議会議長が元首にあたる〔1968年の憲法改正では第66条(2)で「国家評議会議長は、ドイツ民主共和国を国際法上代表する」とされていたが1974年に「国家評議会は、ドイツ民主共和国を国際法上代表する」に改められた。ただ、1974年以降も第69条で「議長は国家評議会の仕事を指導する」と規定されていた。『ドイツ憲法集【第6版】』翻訳:高田敏、初宿正典(2010年 信山社)P199-200〕役職を務めることになった。 国家評議会のメンバーは議長以下、副議長・評議員・書記で構成されていた〔東ドイツ憲法第67条(1)。『ドイツ憲法集【第6版】』P199〕。衛星政党4党〔キリスト教民主同盟(CDU(DDR))、ドイツ自由民主党(LDPD)、ドイツ国家民主党(NDPD)、ドイツ民主農民党(DBD)〕の党首なども副議長を務め、宗教的・イデオロギー的に支配政党である社会主義統一党に馴染めない国民各層を間接的に体制内に取り込む効果を有していた〔仲井斌『もうひとつのドイツ』朝日新聞社、1983年 P167-168〕。 国家評議会の議長はヴァルター・ウルブリヒト、エーリッヒ・ホーネッカーといった東ドイツの最高指導者が就いた役職であるが、後述するように国家評議会議長の権限はソビエト連邦最高会議幹部会議長などと同様に名誉的・儀礼的なものであり、ウルブリヒトやホーネッカーの権力の源泉は支配政党・ドイツ社会主義統一党(SED)の第一書記・書記長であることにあった。実際、ウルブリヒトは1971年に第一書記、国防評議会議長の辞任に追い込まれた後も1973年に死去するまで国家評議会議長の職にはとどまっていたが、実権は第一書記の座に就いたホーネッカーの手に移っていた〔伸井斌『もうひとつのドイツ』(1983年 朝日新聞社)P151 - 152〕。 ベルリンの壁崩壊以降の自由化に伴って行われた、最初で最後の自由選挙である1990年の人民議会選挙の後の1990年4月5日に憲法が改正されて国家評議会は廃止され、10月2日の東ドイツの消滅まで人民議会幹部会と人民議会議長が国家評議会とその議長の権限を行使することになった〔『ドイツ憲法集【第6版】』P201〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国家評議会 (東ドイツ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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